トップページ > 北海道観光スポット一覧 > 檜山観光スポット一覧 > 江差追分
昭和38年から全国大会を毎年行ってきた、江差追分全国大会を、ゆったりとくつろいで、心ゆくまで堪能出来る会館として昭和57年に町民や追分愛好者の厚意によって畳敷き桟敷席を約百畳もの広さもある会館は建設されました。
この会館では、江差追分全国大会の他にGWと姥神大神宮渡御祭期間中には餅つき囃子などの郷土芸能も行っております。
今では、日本を代表する民謡の一つに数えられる「江差追分」の起源として多く言われているのが、海の調べに変わり舟唄として、越後追分が生まれ、これが蝦夷地通いの船頭衆や船子たちによって江差に運ばれ、浜子屋の中で商家の旦那衆、ニシン大尽、船頭衆が、酒と女の遊びの中で唄い伝えられており、唄を母体としそれに北前船で運ばれた様々な唄の要素を加えて、江差の漁場と商港という環境の中で独特の情緒を持った民謡を江差追分と言う。
江差追分の成立に重要な働きをしたのが琵琶師の佐之市である。
今では、「追分のはじめは佐之助、芸者のはじめは蔦屋のカメ子」と唄われています。
佐之助は寛政年間(1789年~1801年)、盛岡から来た琵琶師で、その作という「恋の道にも追分あらば、こんな迷いはせまいもの」いう詩が残されており、その佐之市の作詞と編曲によって江差追分が完成したと伝えられており、江差追分の祖師とたたえられています。
毎年九月に開かれる江差追分全国大会の前日には、東本願寺別院の境内にある佐之市の碑の前で法要が行われます。
<第29回江差追分全国大会優勝者『香澄』>香澄は、現在、江差追分を中心とした音楽活動を行っている、歌手である。
1974年5月16日に江差に生まれ、9歳になる頃から、父が唄う追分を聞き、民謡を習い始める。
幼年の頃から、その才能を発揮し10歳の時に出た、「第14回全道少年民謡決勝大会」に優勝してから幾つもの民謡大会に出ては、最優秀賞や優勝に輝き、22歳からオーストラリアやモンゴルで海外公演を行い、27歳でウズベキスタン世界音楽祭初日本代表として選ばれる。
その後30歳の頃に、イギリス「スランゴスレン国際音楽祭」でフォークソングソロ部門・優勝を果たす。
現在、大黒摩季プロデュースのもと、民謡「ソーラン節」をアレンジした「ソーランBeat」を制作し、5月STVラジオの推薦曲に選ばれる。
今、もっとも江差追分を愛するミュージシャンとして活躍している。